―とんがり―

とんがりな日々

煌めくの

前回の記事でも書いたようにバンド組んだりとかで、
本当に刺激に満ち溢れた毎日です

そのせいか、
「そうだ!これをブログのネタにしよう!」
「今日更新しよう!明日更新しよう!」
なんて意気込んでも他にやることがあったり、更新する暇がなくなったりで、
これまで以上に失敗に終わってます。笑
ありがたいことなんですけどね

今だけなのかもしれないし、
逆にこれから先はもっと刺激を受けることが出来るのかもしれない


そう考えたら自分の中で楽しみが尽きないと言いますか、
今まで生きてきて、こんなに充実した日々が送れたことはなかったですね


だからこそ、こうして文章にして繋げていきたいというのは山々なんですが、
頭と体が着いてこない!
こういう感覚に慣れてないから尚更そう感じてます


高校時代、初めてやったバイトが寿司ネタの加工工場というか調理場というか
とにかくそこでバイトを経験していたんです
この前、その頃の話を友達とした時、
「あのバイトしてた時って(れとっく)、常に疲れた感じだったよなww」
って言われたんです
マジで!?なんて驚きを見せつつもどこかで「やっぱりか・・・」って思ってました
その頃ってホントに疲れてて、ちょっと自分がよく分からなかった時期でもあって、
何も考えたくなかったんです


将来のことだとか、目先のことだとか、そんなことに目を向けたくなくて、
必死さのかけらもなく、ただただ、漠然と日々を過ごしていました
勉強を全くと言っていいほどしなかった唯一の時期でもあります


その頃の楽しみってなんだったんだろうって
改めて考えてみると、うごメモとか、ゲームかなと思います
特にうごメモは衝撃的でした
新しい世界に巡り合えたような、そんな衝撃。


大げさかもしれませんが、
今のおれがあるのも、やっぱりうごメモのおかげというのは本当に大きいと感じてます


いろんなことに対する意欲も活力もうごメモによって満たされた
そんな気がしてならないんです
この頃はまだ今ほど音楽も聴いていませんでした
むしろ勉強と同じように、一番音楽と触れ合うことのなかった時期でもあります


もしうごメモと巡り合うことがなかったら?と考えると
以前までは、どん底のその先に落ちていたはずだ。そう考えてました
けど、今はそうは思いません


うごメモに巡り合わない。


それはそれで、また違う活路があったんじゃないかなと考えてます


うごメモはあくまで、自分自身の活力を見出してくれたモノ。


自分自身の全てではないんです


そんな偉そうなこと言ってますが、結局のところ今は今。
正直な話、うごメモには感謝しきれません
うごメモで交流を持てた方にも感謝しきれません

2,3年前ほどの勢いもなくなってしまったうごメモですが、
おれはこれからもずっと
うごメモに対する感謝の気持ちを忘れることなく進んでいこうと思ってます
というより忘れるわけがないんですよ


もはや一部になってましたからね


それにうごメモの良いところって、
個人個人のステップアップとして在ってくれたことなんですよ。
これに関しては小学生とか中学生はなんやかんやでいい経験値になってるよなぁって
ずっと思ってました
うごメモで培った経験を元に広げられるんですよ
うらやましいぞ!こんちくしょう


おれもそれに近い形にはなりましたが、
いろんなことに費やせる時間が足りなかったことが大きいと痛感しています


それでも、この在り方であったから、


今が煌めく。


うごメモに再び感謝しよう。ありがとう。